・ブログをメモ代わりに使うことが増えてきたので、内容のないものが増えていく
→今日は髪の毛を切った
→なぜ髪の毛を切っていると、笑いそうになってしまうのだろう。雰囲気イケメソなお兄さんが、「今日はどうします?」っていわれたんだけど、「そうですね、イケメンと雰囲気イケメンの境界を知りたいです」って答えたらどうなるんだろう、って思って、笑いそうになった。そして、アシスタントのお姉さんに、髪の毛を洗う時に首から下にまいてもらうシーツみたいなの(名前が分からないので、エリマキトガゲさん1号と呼ぼう)をまいてもらったとき、「苦しくございませんか?」って聞かれたので、「生活がですか?」って答えようかと思ったので、冗談が通じる人だと思えなかったので、却下。
私の母は、私が小さい時からよく思い出し笑いをしていたのを見て、「あらいやですよ。いい?思い出し笑いする人はイヤらしい人だからね」とよく注意された。
私は、小さいころから今まで、いやらしい人である。
・七生養護学校
とぜひインターネットの冒頭のページで検索してみてください。最初の1ページ目のいくつかを見れば、私が何を言いたいかは分かると思います。
ジョージ・ポットマン「平成史」にて、性教育史が前後半に分かれ、その両方ともに「過激な性教育」を――嘲笑的に――国会の首相答弁に手とりあげたシーンが放送された。私は、かすかな記憶をたどってこのブログに書いたわけだが、友人が「それ七生養護学校だよ」と学校名を教えてくれたので、さっそくググってみた。で、実際に調べてみれば、かなり豊富に情報が出てくる。私が判例まできちんと読める能力があればよかったのだが、能力も、少しでも知ろうとする努力ができる自信がないので、分かるところだけ読んだ。
私の記憶通り、知能障害(果たしてこれが適切な言葉なのか、本当なら「」をつけるとか、説明をつけくわえるとかすべきだが、今は便宜上このままで。)がある子にパートナーができて性交渉をしたり、教師によって(かなり広義での)性的虐待を行うという問題が生じたりといったことがあるために、子どもたちに性教育を行って、自分の心と体(これにちなんで、訴訟にまで至った当該の事件を「ここから裁判」と呼ぶらしい)を知ってもらおうという性教育を行った。そしてこれは、性交渉を行う可能性があり、性的抑圧を受ける可能性がある全ての人が、知っておくべきであろう。そして、知的障害があるために自分がなされていること――胸を触られるとか、パンツの中に手を入れられるとか――がどういう意味を持つことなのか、それを教える必要があろう。
だが、山谷えり子をはじめとする右翼が、「過激な性教育」としてフレーミングし、国会の首相答弁にまで議題として、産経新聞や保守イデオローグによってバッシングされた。裁判は「教育への権威的介入」として学校側が勝ったようだが、問題は、「なんのために?」である。
例えば、このブログでは労働についてはよく触れてきたつもりである。グローバリゼーションを背景として、日本型雇用に内在する問題が明らかになるにつれて、ネオリベが展開されていったことは、この10年の労働のあり方の変化を見れば理解されることだと思う。でこれは、目論見からすれば、非常に雑駁に言えば、「資本が利益を上げるため」であっ
て、いいかどうかは別として、目的は明確である。
では、この件はいったい誰が「得をした、利益になった」のか?はっきり言うが、現場を見もしないで教材を取り上げ、その内容を歪曲し、イデオローグを動員し、手続きとしても内容としても問題がある行為をしたという点について、それで誰が得をしたのだろう。性教育を批判してお金が儲かったわけではない。別様の性教育が提起されたわけでもない。本来の使い方とは別の道具の「展示会」(歌いながら体の部位を指すために用いるからだの人形を、教室では服を着させていたのに、展示会では服を脱がせて展示するという行為)をし、それでいったいなにがしたかったのか?
土屋が悪いとか、石原が悪いとか言う問題じゃない。なぜそれを批判することで誰も得しないことを、よってたかって大勢で問題にして、批判して、裁判で負けてなお負けた側は総括せず、そしてテレビで嘲笑的に扱われるがままにするのか。
よく私はかなり勢いで右翼は頭悪いというが(というよりは、「頭の悪い右翼」がのさばっているといっているはず。まあ、大方の右翼と大方の左翼はたいがいバカなんだけど。まっとうな人って言うのはごく少数だと思われる。)、それはこの典型だと思う。経済的利益になるとか、誰かのためになるというなら百歩譲ってどこかに正当性があるようにも思わせえることはできるだろう。(そうであるならば、別様の論理だてをすることになるだろうが。)だがこの件では、現場をおいてけぼりにして、そして総括もなされず、誰も得していない。教育現場を混乱させ、教師に余計な手間を省かせ、生徒に余計な負担をかけることになっただけではないのか。
時間できたら、一冊くらいは本読むべさ。バッシング側のあまりの愚劣さにあきれたが、だからといって何もしなければそのままという、この社会の愚劣さ。
2012年01月11日
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誰が得をしたかですか。第一に土屋・石原・産経その他権威主義者が「非常識で異常で過激な」性教育・ジェンダーフリー教育を粉砕して気持ちよくなった。ただし、それは一時的な利益で、結局敗訴した上、性教育・ジェンダーフリーの思想は現在まで受容が相当進んでいるので
第二に、これが本命ですが、都知事が都教委を媒介して都公立学校の統制を強化するには役立った。2003年といえば、「都立高校改革」の真っ最中でした。何かたてつけば、教員といえどもいつでも極右都議と産経記者と都議会で攻撃できますよと、威嚇する効果はあったのではないでしょうか。結審した2009年には、すでに改革と称した都立高の官僚的・新自由主義的再編がひと段落してます。
もっとも、判決をみればそう否定的なことばかりではないと思います。教育からの不当な支配排除はなお効力を持っていて、教育に一義的な「政治主導」はまかりならぬことが示されたわけです。公立学校の教員は“税金でメシを食っている”役人なのだから、選挙された議会と首長が組めば無限に屈従しなければならないと(事実上)主張している現代日本の地方人民投票的独裁者達(ex:橋下,河村etc.)に対抗するための理論的武器になるのではないでしょうか。
一応、返信(という感じではないのですが)しました。
ブログの筆者より